投資家インタビュー第二回目のゲストは、ノトスサーバーで誰よりも強く、誰よりも有名で、誰よりも恐れられているこのお二人にお越しいただきました。
私達投資家は常に敵国の投資家と財産の投げあいをして戦っているわけですが、このお二人と対峙する事になった時の絶望感ときたら想像を絶するものがあります。

ヴェネツィアをはじめとする新三国と呼ばれている国は、すでに旧三国に権益を根こそぎ奪われた状態からのスタートとなるために、六カ国同時スタートのボレアスを除いて、どのサーバーでも大苦戦を強いられていますが、ノトスヴェネツィアだけは見事に投資家同士連携を取り合い旧三国と互角以上の投資戦を展開しています。

その国力の源は、紫式部さんやアヤネさんをはじめとする、新三国実装時に集結した豪商達の絶え間ない努力にあります。

今回のインタビューでは、お二人のポルトガル時代にさかのぼって投資家を志すことになった原因や、当時の交易や投資戦の様子、そしてヴェネツィアへ亡命した後、ジェノカルアドリア交易を確立されてから、交易集団を率いて華々しい投資戦を繰り広げるに至る現在までの活動について、他国の者からは伺い知ることのできない内情をズバッとお尋ねしたいと思っております。
 

 投資家としての原点について
ダル : それでは、始めさせていただきます!今回は、アヤネさんと紫式部さんにゲストにお越しいただきました。お二人ともよろしくお願いします。

紫式部 : よろしう〜@@

アヤネ : よろしくです

ダル : さて、Notos投資家といえばすぐに名前が挙がるほど有名なお二人ですが、そもそもの投資活動にかかわるようになったきっかけは何だったのでしょうか。まずは、紫式部さんから教えてください。

紫式部 : 投資活動、、、という感じではないのかもしれないですが、私このゲーム、背景知識とか一切無知なままで国とか選んではじめまして、なんとなく弱めな印象を受けたポルトガルにするかっという感じでした。
ジェノヴァという町に来てみて、何か、音楽とか他の町と全く違っていて、見たこともないような、大型の船とか出港してて、ガレアスのことですね、明らかに他と違いますよね。

ダル : ですねー、あれは度肝をぬかれました

紫式部 : ジェノヴァはヴェネチア同盟港、でもそんな国は無かった。他国の投資が入るとどうなってしまうのだろう・・・。そう考えると凄く不安で、初めて町を訪れた時はそのまま去ったのですが、数日後、ジェノヴァはポルトガル同盟港になりました。
自分と同じポルトガル国籍の人が、投資?という行為をやってるようだから、この街の発展した姿や、ランカーになるとどうなるのだろう?ということに興味を持ち、当時5mとかで一位ランカーの方がいたのだけれど、思い切って全財産10m入れました。
すごーく気分が晴れ晴れして、交易品に新しく高級衣料とか見えたりして。投資との出会いはこれですね。

ダル : なるほど、投資でどんどん新しい交易品が見えていた時代ですね

紫式部 : ですです。ここらへんから少しつつ興味が出てきて、ディブに投資したり、515事件と呼ばれるカリカット投資ではじめての集団投資を経験していく、、、という感じかなあ。

ダル : 最初は紫さんも、個人で投資活動をされていたわけですね

紫式部 : ええ、はじめから集団でやるほうがベターなのは、アテネなどの戦況の様子を噂で耳にしたりで分かってたのだけど、515事件までは一緒に投資する知り合いとかいなかったから個人ですね。でもやっぱり発展期待みたいなのが大きかったですね、初期の頃は。

※515事件 - 2005年5月15日にポルトガルとイスパニアとの間で起こった、カリカットをめぐる大規模な争奪戦のこと。投資や私掠行為の長期化を避けるべく、両国の代表との間でとある協定を結び、休戦に合意することになった。
・協定内容
 @ポルトガル私掠艦隊及びポルトガル投資部隊の撤退見返りとして、
  以後カリカット周辺におけるイスパニア私掠行為の沈静化を約束する。
 Aカリカットに投資するポルトガル船は以後、イスパニア私掠がカリカットに対する
  ポルトガル投資家のみピンポイントで攻撃を開始する。
 Bカリカットにおけるポルトガル影響度40%までの投資は維持投資とみなして、
  イスパニア私掠艦隊は動かない


ダル : 515事件のときは、私まだほとんどお金を持っていないイスパニア商人で投資のことはまったくわかっていなかったのですが、すでにポルトガルには紫さんをはじめ、かなりの力をもった商人の方達の集団が結成されているのかと思っておりました。

紫式部 : ポルトガルの投資集団は、あの事件から動き出した感じですね

ダル : なるほど、そこから集団を組まれて、後のルアンダ戦へつながっていくわけですね。

紫式部 : あの515事件の当時は、私、香料で結構儲けててウルモフ氏とお友達だったのだけど、香料すげー!お金かなりたまったから投資どっかあるなら誘ってよwとか何回も私が催促してたりして^^;場所までは、私決めてないですけどね。

ダル : すごい、その頃からもう香料交易は確立されてたんですね。当時の交易に関しては聞きたいことがたくさんありますので、また後ほどじっくりお尋ねしたいと思います。
それでは、今度はアヤネさんが投資家を志されたきっかけについて教えてください。

アヤネ : はいー。うちの場合は投資でランカーになったときに「とっておき」って言われるのが楽しかったので、はまってました。他の人に見えない新しい交易品見るのがたのしかったですね。

ダル : なるほど、お二人に共通しているところですね。最初にランカーになられたのは、どの町だったのでしょうか。

アヤネ : 一番はじめはカーボヴェルデだったかな。投資にはまりだしたのがゴアですね。でランカー取るといつしか上に行きたいという向上心みたいなのが芽生えて、1位とることに夢中でした。昔は投資戦は他国というよりも、ランカー争いみたいな感じが多かったかな。領地や自国同盟のランカー争いみたいなのが多くて、ケープなんてポル人同士の投資戦繰り広げてた感じで、はじめて100M投資したのがケープだったんですけれども、ランカー落ちしたよって言われると直ぐ投資にいって取り戻したりして、ポル同士の投資戦で亡命直前までケープの影響80越えてたりでしたねw

ダル : 初期からすでに投資王の片鱗を!

アヤネ : あのころは国というよりは自分の為の投資でしたw

紫式部 : 東アフリカ全部一位とかだったね

ダル : 恐ろしい (((( ;゚Д゚))) アヤネさんも最初は縫製ではなく香料主体だったのでしょうか

アヤネ : いえ宝石でした、メインはサファイアですね。ゴアはルビーおいしかったんですが、カリカットの商館で宝石を売っていたので、サファイアが楽でしたね。

ダル : あ、そういえば当時のアヤネさんの商会の久遠神楽がカリカットにありましたね

アヤネ : はい、なのでほとんどケープから西にいかなかったので、ケープより西にはほとんど投資がありません。

ダル : イングランドの猛攻があったときも、東アフリカが無事だったわけですねー

紫式部 : モガディシオとソファラはすこーしだけやられてましたwモガディシオがイングに取られたとき、朝五時私一人で50mとかいれて取り返したなあ。なんていうか、旗とった!みたいな投資はそれがはじめてかもしれないですね。これは515の少し後ですが、この頃からすこーーーーしづつ国vsみたいな意識ができはじめたかな。んま、実際はほとんど参加しなかったのですけどね(理由は後述)


 カリカット515事件
ダル : 私もちょこっとだけ参加していた、515事件の頃のお話を聞かせていただきたいと思います。先ほど紫さんのお話で、この事件の後から、ポルトガルの投資組織のようなものができたと教えていただきましたが、一番最初にカリカットを所有していたのはポルトガルでした。
515でカリカットを、当時は主に軍事圧力のためだったと思いますが、イスパニアに奪われてしまって対イスパニアの感情としては実際のところどうだったのでしょうか?

紫式部 : 先にも言いましたが、私大航海時代というものを全く知らなくて、カリカットがポルトガルの領地的だったという歴史的な背景など知りませんでした。はじめてカリカットにきたとき旗はイスパニアだったので、ああ、イスパニアなんだというぐらいのファーストインプレッションで。
それで、当時は別に旗がイスパニアだったのはどうでもよかったのだけど、ポルトガルを狩るイスパニアPKがあまりにも多くて、香料やってた頃だったからそこそこPKとかにも怯えてまして、実際にPKされたことは一度もありませんでしたが、かなりみんな困っていたこともあり、主催のウルモフさんと、旗を変えたらイスパニアPKを退場させられるのでは考えていました。

ダル : そういう背景があったのですね

紫式部 : ですです、それで515協定というのが出来て、そこにはポルトガルをPKしないという内容が含まれていましたので、まあPKされないならいいかな、、、、皆が決めたことだし悪い内容ではないという思惑があるのだろうという感じで、あまり気にもしてなかったですね。

ダル : 現地のPK被害を減らしたいがためのカリカット投資だったとは初耳でした、おそらくイスパは誰もそんなこと知らなかったと思います。

紫式部 : あれが原因で引退とかは結構いました

ダル : うう、なるほど;;

紫式部 : あとは、主催者のウルモフさんが船大工だったから、発展期待というのもあったようですね。夜中の三時集合とかで、隠密行動みんなでとったりして結構たのしかったですよwなので別に、旗はどちらでもよかったです。

ダル : それ以降ウルモフさんは恐怖の大魔王みたいな扱われ方をw

紫式部 : ですな、800M入れてましたし。しかし、すぐにイスパニアにひっくり返されましたよね。私、投資ははじめから人数が決め手だって信じていた人間なので、それが思いっきり立証される形になって、確信に近づいたりもしましたし、何故ポルトガルの人達があまり援護に来なかったのか、その理由も考えましたし、本当に大きな勉強になりました。

アヤネ : 私はあの時は軍人でしたので、港前にイスパPKがわんさか来ているってきいて、外でてぐるぐるまわって襲ってきたら返り討ちにしてやると、pk相手に機雷巻いて遊んでましたw

ダル : (((( ;゚Д゚)))

アヤネ : 封鎖かなりすごかったので、ポル人がカリカットに入るのは、拿捕されてでもつっこむくらいの気迫ないとはいれなかったですね。

ダル : 私がカリカットの外を見てたときは、ソロン・ジーさんという方が一人で頑張って戦っていたのが印象的でした。ほんと一人で・・・。

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