第5回目のゲストは、私の大のお友達「みゃう」さんにお越しいただきました。普段から一緒にマスリパタムでベルベットを織りつつ、お互いの国に対する考え方や、投資戦に関する戦略議論、交易の情報交換等々教えていただいておりますが、なかでも「商会」というシステムに関しては、なるほど、こんなにも有効活用できるのか!と思わず唸ってしまうほど見事に使いこなしておられます。

フランスに限らず、新しく創設された新三国と呼ばれる国は、旧三国から亡命された方が多くいるため、元の国とのしがらみにより投資戦で足並みが揃わず内部分裂することがよく見られます。なかでもフランスは特にその傾向が強いようで、投資家はおそらく旧三国に迫るほど質量ともに充実しているにもかかわらず、手を取り合って進むことができないため、個々がいくら努力しても思ったような成果を上げられていないように思えます。
そのような中で、みゃうさんが選んだ戦略は、商会の仲間と協力し、商会の力で相手国に立ち向かうというものでした。

今回のインタビューでは、もともと軍人だったみゃうさんが投資家として活動するにいたったきっかけや、商会運営に関する考え方、そして、実はまだ一度もお聞きしたことがなかったのですが、なぜフランスを選び、今なおフランスで頑張り続けるのか、その理由についてもお尋ねしたいと思います。

 大航海時代のスタート
ダル : 本日のゲストは、フランス快進撃の立役者みゃうさんにお越しいただきました。よろしくお願いします^^

みゃう : よろしくお願いします!

ダル : インタビューをさせていただいている現時点で、フランスは同盟港として南米一帯と、カリブは金の産出港マラカイボ、そしてヴェネツィアと日々激しい投資戦が繰り広げられているジェノヴァに加えてカルヴィも占有するにいたってます。ジェノヴァとカルヴィは今でも1日に何回も旗の色が変わるNotos屈指の激戦区ですので、今後もまったく予断を許さない状態であるとは思いますが、それにしても以前のフランスからすると驚くべき勢力の拡大ぶりです。今回はそのあたりの戦略について、後ほどじっくりうかがいたいと思います。
 
ダル : まずはみゃうさんが大航海時代を始められた時のことについてお尋ねします。私のフレンドリストを見ると、みゃうさんのお名前は前回フレンド登録をしていただいたクローズドβ出身者の羊羹さんより上の最上段に表示されているので、おそらく大航海時代最古参のプレイヤーのお一人なのではと思います。実際いつごろから大航海時代をプレイされているのでしょうか?

みゃう : オープンβの初日からですね、オープンされるのを待ち構えてました。

ダル : おお、なるほど

みゃう : 私はクローズドβの時点ではまだ大航海時代オンラインの事を知らなくて、周りの友人がクローズドβの噂をし始めて初めて知ったという感じでしょうか。その時1人クローズドに当選した友人がいまして、色々話を聞かせてもらいました。そして友人何人かで一緒にやろうという話になり、サーバーは一番下で国はポルトガルでやろうという事になりまして。

ダル : 最初からポルトガルでプレイされていたんですね。

みゃう : 全くわからず素直にその通りにしましたねwただ、結局その時の友達は課金せずにみんな消えていくのですが・・・。最初の頃は、クローズドの友人が冒険家をしててその話を良く聞かされたので、自分も冒険家でスタートしました。最初に転職したのは実は生物学者なんですよ。

ダル : なるほど、生物学といえば、当時全然クエストがなくてほんとに手探りだった職業ですな!

みゃう : おお、よくご存知で。

ダル : 実は私も生物学者でスタートしまして、途中で断念して考古学者に。カサブランカの隣の上陸地点で何か動物一匹見つけて終了だったような・・・。全然クエがなくて、なにやったらいいのかわからなくなってしまったのを覚えております。

みゃう : 私も周りが開錠関係の発見物を入手してるのが羨ましくて、しばらくしてすぐに転職しましたねw

ダル : 今現在、みゃうさんはフランスの投資家として活動されておられますが、私みたいな人間からするとみゃうさんはいまだに専業軍人のイメージがありまして、実際、フランスに亡命される前までは、ずっとポルトガルの軍人として頑張っておられたと聞いております。みゃうさんが冒険家から転職して軍人として活動するようになったきっかけってのはなんだったのでしょうか。

みゃう : 大海戦の存在と、冒険中にPKされたのが原因ですね。これは多少強くならないとまずいなと。

ダル : 確かに、私も冒険者だったときは、危険海域だった東地中海で頻繁に海賊に襲われてました。

みゃう : 当時の東地中海は危なかったですね。

ダル : このあたりの時代から、ポルトガルは投資集団というものが形成されていく一方で、軍事面でもかなり強力な実行力をもったグループというものも出来上がっていきました。みゃうさんもそのグループに参加してイングランドと戦いを繰り広げられていたのでしょうか。

みゃう : この時私はまだ冒険家だったのですが、この軍人のグループがのちにNP3という団体になりまして、私も後方支援と言う形で籍を置いてました。ただ、色々問題があってNP3が有名になる頃にはすぐに脱退しましたが軍人の友人は増えましたね。

ダル : どこかで投資戦が行われると同時に、各国の軍人さんも海域に展開して制海権をかけて戦闘が行われて、まさに国を挙げての戦争という雰囲気だったのをよく覚えております。
 

 フランスへの亡命
ダル : 2005年の夏に大規模バージョンアップが行われ、新たにフランス、ヴェネツィア、ネーデルランドの3国が追加されました。みゃうさんはポルトガルからフランスへ亡命されたわけですが、なぜフランスを選ばれたのか、そのあたりの心境についてお聞かせください。

みゃう : 亡命した理由は色々あるのですが、まず、友人がフランスに亡命を決めていた事と、当時のポルトガルは軍人と商人に深い溝がありまして、そのあたりの様々な事情があって亡命を決意するに至りました。

ダル : 私もどこかで聞いたことがありますが、当時はポルトガルとイングランドの私掠合戦がものすごくヒートアップしていて、どんどん敵国の商人を叩いてダメージを与えたい軍人と、その報復による被害を蒙り続けた商人との間でかなり意見の相違があったようですね。敵国を叩く前にまず味方を守ってほしいと。

みゃう : 私掠に関しては当時インドで私掠活動をしてたのですが、その時のポルトガルPKの被害がインドで拡大してるので、イングランドの海軍が全てインドに集結した時がありまして、それと入れ違いに当日にポルトガルの軍事講習があったので軍人はみんな欧州に帰ってしまったのですね。

ダル : むむ、なるほど

みゃう : やっぱりここは軍人として、インドで残って戦ったり、一般の方をカリカットから脱出させる手助けをしたかったところです。昔は模擬システムというものがなかったので、危険海域のアルギンあたりまで出向いて演習を行う必要があったのですが、その間、カーボヴェルデでイングランド海賊が暴れてるのに放置してしまったり、自分はそういったスタイルがだめでした

ダル : そうでした、ラスパルマスや西アフリカで定期的に演習が行われていましたね。

みゃう : あとは、商館を取って商会ショップ機能を使いたかったというのも亡命の理由ですね。フランスの実装に伴ってマルセイユの商館が開放されることになったので、実装前日にお金を持って王宮前でログアウトして、争奪戦に備えることになりました。

ダル : なるほど、今マルセイユに存在するぬるぽ商会誕生の瞬間ですね。
 
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